ぱわぷろ活動日誌

ゆったりまったり技術を学んでいます。備忘録代わりのブログです。書いてあることは私見が多いので参考程度にしてください。

個人的WMMC活動を振り返る(DCマウス編)

初めましての方は初めまして

そうでない方はお疲れ様です。

 

想像以上に文章が長くなりすぎて困っているぱわぷろです。

この記事はWMMC AdventCalendar 2021 22日目の記事

adventar.org

です。

昨日に引き続き、私、ぱわぷろが駄文を続けます。

昨日の記事 :

個人的WMMC活動を振り返る(ステッパー編) - ぱわぷろ活動日誌

 

あらすじ

雷鳴が光った。

幹事長になり、標準機体コンペに敗北したRXマイコン使いは細々とDCマウス製作を開始する。しかし、公認サークル継続書類に追われて、思うように進まない1月。合間を縫って1年間で集めたブログ情報や知識を糧にして、設計を始めるも、RXマイコンの使い方も残し、新しいSTM教育にも携わり、そして始まる研究室配属。激化する大学生活の中で突然消失するWMMCのwiki。新歓開始まで残り1ヶ月。新たな年がまた始まる…。

 

某SWars風あらすじ構文むずかちぃ

目次はこちら

 

1. 月夜の晩ばかりと思うなかれ(2018年4月〜2018年9月)

1月〜2月は大学公認継続書類の作成に追われて、AT氏、ntku氏ら幹部陣は対応に奔走していた。その間に新入生教育用に向けたwiki作成も進めていたが、操作ミスによりこの半年間で作成した記事が全てクリーンアップする事態になり、移植作業にも暗雲が立ち込めていた。

 

特に組込ソフトの部分では従来のCMSISライブラリを用いたレジスタ手打ちを残すか、HALに代表される抽象化ライブラリを使用するかで未だに意思統一ができていない状態だった。

当時はレジスタ手打ちを支持するメンバーが多く、抽象化レイヤ(というよりSTM用のHALライブラリ)の導入に否定的な意見が多数派であった。

 

カリキュラムの全面変更が4月までに間に合わないと判断したAT氏は、従来のレジスタ手打ちソフトがArm系であること、移植先のSTMマイコンもArm系であることに注目し、驚くべき速さで新入生用ライントレーサーまでの移植を済ませた。

これによって、新入生がステッパー開発に取り組み始まる6〜7月までではあるが、WMMC標準機体のサンプルプログラム動作確認までの時を稼ぐことができた。

 

その間も〇ボメカ工房にお邪魔したり、antr氏がPVを作成したり、途中入会組がSTM標準機体の回路作成と確認を行なったりと全体として活発に回り始めていた時期である。

マウス合宿にも初参加した。

↓はantr氏のPVを後輩らがうpしてくれたもの

www.youtube.com

一方、自分は足回りと基板の動作確認で沼っていた。回路・組込面ではステッパー時に評価ボードを使っていたがためにマイコンの半田付け、書き込みの回路、エンコーダ読み込みに苦心していた。Renesas社のウェブ上の教材を読み込みながら自身の使用するマイコンのデータシートを読み比べる日々である。

また足回りの滑らかさが出ず、構造や部品、製作方法の模索をしていき、ハードウェアの決定がなされたのは大会を目前に控えた7月末であった。

 

この時期になると新入生組の爆発的進捗がサークル全体を脅かしていた。例年にない人数がトレーサーを走らせ、標準機体に取り掛かり始めたのだ。もちろん、変わったばかりの機体だったが故に指導を行える上級生も限られてはいたが、それは想定の内であった。問題は、完成させた基板が続々と燃えていたのである。

 

当時は半田付けに自信がある新入生がおり、実際見事なものだった。しかし、何故か完成するたびに燃えるのである。

異変に気付いたAT氏は回路の見直しを行いながら改良を進めた。この問題が完全に終結するのはシーズンも終わりかける12月であった。

本当に感謝しかない。

 

 

自転車操業だった移植作業が想定外の事態により難航していくのは世の常であり、WMMCも御多分に洩れることはなかった。

また、この頃を境にサークル内での連絡手段をメーリス・LINEからSlackに変更した。

活動のログを残す、誰もが会話を見れる、議論がスレッド毎で見返しやすかったためだ。(当時のぱわぷろがSlack布教狂いだったことは言い訳ができない)

 

2. Load to 全日本大会(2018年10月~2018年12月)

2018年シーズン、マイクロマウスの大会について大きな変更がなされたシーズンであった。

ポイント制によるエントリーの開始、クラシックマウスで言うと全日本大会のエントリーに地区大会での完走が必須となったのだ。

マイクロマウスに於いて、完走が1つの大きな節目であり、関門である事は言うまでもない。

 

例年のWMMCでは「全日本大会で出走する」ことを目標として機体開発をしていた。それが早まったのである。

さらに関東地方の学生視点から見ると、この年は学生大会が9月頭、東日本大会が10月頭であった。つまり、10月頭で完走できなければその人のシーズンは終わる。

f:id:ss_sholaw_wmmc:20211216173603j:plain

大会直前の密な部室

次年以降もそんなシーズンスケジュールになるとモチベの低下が危惧され、何とか対策を打たねばならないと持ち上がった計画がある。

 

「遠征」である。

 

マイクロマウスの地区大会には参加規定に「地域限定の制約がない」

つまり、アーティストの全国ツアーよろしく、複数の地域大会に参加してもよいのである。

 

むしろ

「異なる環境と移動を経ても安定して動作する」

ことはロボットとして評価されるべきとして、ポイント制が導入された節もある。(私見

 

話を戻すと、WMMCは長らく遠征が行われていなかった。必要が無かったのだろう。それ故に移動手段や宿など遠征の手法は手探りであった。

故に、初の遠征となった東北遠征は理科大○ice方式を取り入れて「車による0泊日程」、2回目の遠征となった中部遠征は反省を踏まえて、WMMCメンバーに適した「現地集合日程」とした。

詳細 : 

WMMC東北遠征2018 - ぱわぷろ活動日誌

中部遠征2018 - ぱわぷろ活動日誌

 

ここまでやっても駄目だったので当時「駆け込み寺」と言われた認定大会へ。

それと同時に理工展へ他大学の人がマウスを走らせに来たりして非常に楽しい日々だった。

詳細:

2018年の記録会,理工展,Cheese杯とWMMC交流会2018 - ぱわぷろ活動日誌

 

ただし、自分はDCマウスを完走させることができませんでした。

7月にSSDが吹き飛んで回路図やプログラムのデータが吹き飛んだこと、単純に知識不足で機能チェックに時間がかかったこと、エンコーダだけでIMU無しで動かそうとしたことなど要因を挙げればキリがありません。

全日本大会での出走は叶わぬ願いとなりましたが、各機能の動作確認や諸々が済み、技術的な基礎固めができ、手応えを感じたシーズンでした。

 

一方、WMMCの後輩らは新標準機体を完成させ、続々と完走を決めていました。

次はDCを目指す人もちらほら出てきそうだったのでそこまでのDCマウスをまとめた記事。

クラシックマウス「道標」と2019年へ - ぱわぷろ活動日誌

 

この年の大会は記憶が薄い…。一応大会には行って調整手伝ったりボランティアしたりはしていた記憶がありますが、ただただ出場できる人らが羨ましくて、来年への決意を新たにしていたぐらい。

 

標準機体の開発や指導から離れていたのに結果出せなくて申し訳ない気持ちと自分の未熟さへの悔しさが入り混じってすごいことになっていた…。

ここで幹事長職を後輩に譲る。

 

3. CubeIDEとマウス合宿(2019年1月~2019年7月)

研究とテストに飲まれた1月を超えた2月。後輩らにサークル運営を任せたが、ぱわぷろはマウス合宿の準備に追われていた。運営を引き受けた手前、事前の場所探しやスケジュール感、予算の概算などが急ピッチだったのだ。この運営に関してはmamboo氏が積極的に様々な事務を取り仕切ってくれたおかげで事なきを得た。(苦労してないとは言ってない)

 

またAT氏らを中心に昨年でやり残した抽象化レイヤ(HALライブラリ)を新入生トレーサー、標準機体に向けて導入する計画が再始動していた。この頃になるとSTMでHALライブラリを扱ったことがあるメンバーはB4(ぱわぷろの学年)に多くおり、サークル全体としてHALライブラリを用いる機運が高まっていた。

 

同時に焦りもあった。この年を機に研究室活動が本格化し、B4メンバーがキャンパスから姿を消し始めたのである。

f:id:ss_sholaw_wmmc:20211220001705j:plain

かつての作業風景

過去数年にわたる移植活動は急ピッチ故に様々な歪みが生じ、その修正を上級生の充実でカバーする運用体制であった。その手法が使えなくなる以上、サグラダ・ファミリアよろしくの増築的な改革をこの年で終わらせる必要があった。

 

この焦りを刺激する出来事があった。

CubeIDEの登場とSW4の非推奨化である。

 

当時、STM32の開発環境は乱立していた。自身でmakefileを作る手や、CubeMXでファイル生成し他のIDEでビルドコンパイルなどがあったが肝心のIDEは本当に様々であった。

 

WMMCではそのうちの1つ、eclipseベースのSW4を採用し、インストールからプロジェクト作成までの流れを既にマニュアル化していた。

この中で5月にCubeIDEが発表され、公式の推し具合から同じeclipseベースのSW4が徐々に廃されるのは目に見えていた。

 

リリース直後の動作確認とデバッグを深夜にTwitter見ながら他サークルの方々と進めていたのが懐かしい…。

基本的な動作とバグ修正レベルを把握した自分は、コソコソと個人的に新入生へCubeIDEを推奨していった。インストールさえ終わればほとんどのマニュアルを使い回せるので、何とかなるだろうという目論見はあった。

(これによって2年生以上を振り回したことは申し訳なく思っている...ごめんなさい)

 

これを察知して即座にCubeIDE用のマニュアルを生成したAT氏は賞賛されていい。

 

さて、内部が整った頃にはマウス合宿の準備が差し迫っていた。サイトを出したりタイムスケジュール、予約事項の確認など、今まで自分ではサークル内でやってこなかった事が多く非常に辛かったものの良い経験だった。今までサークル内合宿を仕切ってくれていたntku氏やきょす氏に感謝である。

詳細 : 

マウス合宿2019を終えて - ぱわぷろ活動日誌

 

このイベントを経て、サークル内の迷路板の劣化が浮き彫りになる。大会でのクラシックマウスの壁と柱が木製→プラスチック製に切り替わった事も相まって、フル迷路の購入を検討し、資金繰りを始めた契機だ。

 

そして、いつの間にか私のDCマウスはご逝去していた。火入れしてもソフトが実行されず、ハードウェア的なトラブルだった気もするが、この時期はあまりの忙しさに記憶が朧げで何も覚えていない。昨年の虚無感から運営という逃避先に逃げていた事をマウスが怒ったのかもしれない…と今となっては思う。

 

ただ、機体が動かなくなり、回路図を1年前にssdごと無くし、唯一のRX派となり、CubeIDEのデバッグをサークル内で続ける上級生が必要などなどの要素が混ざって、STMマイコン搭載のDCマウス開発を決意した。自分はまだ、「プレーヤー」でいたかった。その気持ちを試されている気分だった。

 

最後のシーズンが始まろうとしていた。

 

4. 誰が為にマウスは走る(2019年8月〜2019年12月)

この年の後輩らの標準機体は製作が早かった。元から早める方針ではあったが、抜群の進捗ペースを生む人間ら(イマニティやXFA)に触発され、全体でブーストがかかったように進めていた。

 

また自作プリント基板の機体を作る上級生も増え始めレベル感がサークル内で多様になっていくのを感じていた。

負けておれんと自分にハッパを掛ける好材料であったと同時に、1人でステッパーを転がしていた時期からかなり遠くまで来てしまった感覚がする。

 

新機体の開発については

#道標をたどる

のタグでTwitterに記録を残すようにした。

自分のためであり、後の誰かのためになってくれれば嬉しい。

この記事を書くために振り返っているが、残しててGJと伝えたい。

 

さてSTMに関する勉強は進めていたが、やはりマイコンの変更は多大な苦労を擁していた。マウスを始めて4年目となっていたが、使用するマイコンはLPC1114、RX220、RX631、STM32F4とかなりの変遷を経ており、マイコンの移植でいつも苦しんでいた。そんな毎年やるものではない。(自戒)

この年の頃には日本語のSTMブログが充実していた事やIMU関連での協力もあって9月の東日本大会には殆どの動作確認が済んでいた。

 

しかし、回路的な問題(レギュレータの暫定ミス)によりモータが回り始めるとマイコンが電圧ノイズで落ちる問題により最初の大会には間に合わなかった。

 

そこから修正設計を行なって新基板に修正。探索部分の移植を優先して調整を進めた。脳裏によぎっていたのは昨年の認定大会。完走できずに全日本大会出場が叶わぬ夢となった大会。

何としてでもDCマウスで全日本に出場する。

それが最後にやらなければならない事だと自分で決めていた。

 

何とか走るようにはなったものの、姿勢制御と壁制御が干渉して直線に非常に弱い機体であった。ジャイロの取得角度が正確だったようでターン後は姿勢が安定し、袋小路でズレを吸収することで何とか祈るレベルまできた。

 

迎えた学生大会はこの通り。

 

足立法対策が練られている迷路で、探索に関して1周以上引き回される比較的長めの課題。しかし、壁は比較的多く、袋小路が細々とあり良心的な難易度設定に感じた。

祈りが通じたようだ。

 

それとこの大会では同期のDCマウスも初完走し、自分の初年度の目標が共に達成される大会となった。

この後、最短を決めるべく改良を続けた。しかし続く中部大会、全日本大会では姿勢制御の根本的な問題が解決できず、探索完走までで留まる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

実はこのシーズンが始まる頃からマイクロマウスから少し距離を取ろうと決めていた。

理由の1つは燃え尽き症候群、もう1つは自分の進化のためだ。

2016年の決意からほぼ丸3年、目標のために多くのものを犠牲にして走ってきた。それ自体は自分で決めたから後悔はしていない。ただ、目標としてきたことが達成されて行くにつれてその先のビジョンが見えなくなっていき、息が詰まる思いだった。

さらには技術的な視野が狭くなっているのを感じていた。マイクロマウスには様々なロボットコンテストを経験した参加者が多かった。それは学生であっても同様で、彼らからはマウス以外の視点と経験に基づく広い世界が垣間見えた。

自分がプレーヤーであり続けるために、もう1つ先のビジョンを見るために違うものに挑戦しなければならないと感じていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

だが中部大会においてS田氏と話したことをきっかけとして、迷路購入費用のためOBに協力を仰ぐことができ、サークルの預金と合わせて90万円弱を用意することができた。

これにより迷路を全てプラスチック製にし、板を刷新することに成功。2020年2月の事である。最後の仕事であった。

 

こうして、WMMCとしての個人的な活動は一時幕を閉じる。

 

5. エピローグ

2年の月日がたった。知っての通り理不尽な2年であった。

大学からは課外活動の制限を余儀なくされ、技術を繋ぐことも難しくなった。

いなくなってしまった人もいた。連絡も取れなくなった人もいた。

それでも、続けることに意味があると信じている。

 

マウスを通じて色んな人に出会った、色んな人に助けられた、色んな人と同じものを見てきた。その人たちとの様々なことを忘れないためにまた大会に出ようと思った。

自分の前に繋げてきた先輩方がいて、共に走ってきた同期がいて、先を走っていた上の人や同世代がいた。離れたっていい。でもいつかふらっと戻ってきた時に「まだやってるんかw」なんて言いあえれば自分は嬉しい。

 

その時に、少しでも成長したプレーヤーであれるように、また精進しようと思います。

 

/*

追記(2021/12/20)

まさか復帰後初の大会が2019年学生の迷路とは…。因果なものです。

中断の区切りとなった迷路が再開の区切りに来るならば「やれ」というお達しでしょう。

探索も2秒ほど早くなっているものの、ヒューマンエラーで時間内にエセ最短も決められず、甘くないなぁと思うなど。でもフェイルセーフなど安全面での新要素は進歩したのでここからまた頑張ろうと思います。

*/

 

長々と2日間、お付き合いいただいた方々には感謝を。

明日はRivière君の「再び未定」です。

はてさてどんな記事になるか、明日になってからのお楽しみです!

 

最後ですが、ある先輩がかつて残した言葉を。

「どんな形であれ、WMMCが存続してくれれば嬉しい」

自分も今ならその気持ちが分かります。でも全てを決めるのは現役生なのです。

老兵はただ去り行くのみで、彼らの幸運を祈るばかりです。

では、また。