個人的WMMC活動を振り返る(ステッパー編)
初めましての方は初めまして
そうでない方は進捗どうですか???
自分はダメです。
煽っていいのは煽られる覚悟がある人間だけなので存分に煽っていいですよ。
お待ちしてます。
この記事はWMMC AdventCalendar 2021 21日目の記事です。
昨日の記事はジャッジー君による「NULL」でした。
卒論は辛いよな…私は特に序章を書くのがしんどくてしんどくて仕方がなく、今も修論からは逃げております…。
さてさて、今回はWMMCの生きた化石となったぱわぷろが自分が入学してからのWMMC活動を振り返る過去編になります。
数年前にDr.H氏が内部発表した「WMMC史」の続きにあたる時期、ようは自分が入学して以降の話を主観的に書いていきますが、これは
WMMC関係者が紡いできたものを後輩に伝えるための読み物
です。
(老害には過去の経験や経緯を伝える義務があると思っているので)
決して明るい話ではないとは思いますが、読み物として楽しんでくれたら嬉しいです。
事実は小説よりも遥かにドラマチックです。
(ただし、以下の文章は大きく脚色を含むので修正依頼あれば是非)
以下、目次。
- 0. 復習(???〜2015年度)
- 1.「ものづくり」やってみようか?(2016年4月〜2016年9月)
- 2. 「マイクロマウス」って何だ?(2016年10月〜2016年12月)
- 3. 汝やマウサーなりや?(2017年1月〜2017年8月)
- 4. 出会いと就任(2017年9月〜2017年12月)
0. 復習(???〜2015年度)
1983年に結成されたWMMCはマイクロマウスサークルとしての栄枯盛衰を盛大に謳歌してきた。
上位入賞者を多数輩出し、大会運営にも積極的な姿勢を示していた80, 90年代(この辺りはS工大のK先生らからのコメントで現代でもしばしば触れられる)。
ロボット相撲、ROBO-ONE, NHKロボコンなど他ロボコンへの進出が顕著だった00年代。
↑ 製作者は先輩らしい
しかし、回路図から機体を完成させるまでに脱落し減っていくサークル員、部室に溢れるフィギュア、3.11による新歓自粛などが重なり2014年度でマウス開発を続けているものは片手に数えるほどになり、新入生でマウスを完成させたものは0になってしまった…
もちろん、指を加えていた見ていたわけではない。
この事態を打破すべくT橋氏、Dr.H、S田氏、らを中心に新入生機体のマイコンをH8からLPC1114に変更、開発環境の整備やマニュアル整備を進めていた。試験機とマニュアルを引き継いだ山の神氏はサークルの存続をかけて2015年の新入生指導にあたった。
しかし、回路図を基にユニバーサル基板用の実装設計する工程を通した開発はデバッグ能力の乏しい新入生には困難を極め、また指導にあたる上級生の不足はデバッグにおいて致命的であった。
これによってWMMCは「自律してスタートラインを切るロボット」すら数台しかないロボットサークルになっていた。(注、あくまでぱわぷろの知る範囲である)
状況を重くみた2015年入学のZリッチ氏は「新入生用ステッパーキット(WMMC標準機体)」を構想し、共通機体によるデバッグのしやすさ、モータードライバ基板の別基板化によるメンテナンス性の向上(当時はMD周りが燃える案件が多発した)さらに半田付けと配線図の問題の切り分けを目指した。
その間も2015年入学のS崎氏、N澤氏、A木氏は各々でマウスの開発を続けていたが、機体としてはまだ未完。
標準機体の実装図設計を終えたZリッチ氏は動作確認もままならぬまま、2016年の新入生歓迎期間を迎えることとなる…。
1.「ものづくり」やってみようか?(2016年4月〜2016年9月)
はてさて時は2016年4月。
その様な経緯を微塵も知らずに入学した私、ぱわぷろはやることも決めずにフラフラしていた。
「せっかく大学に入ったから新しい事やってみたいなぁ〜」
ぐらいの気持ちでサークルを探していた折に、初日に知り合った学科同期、JK氏に誘われてWMMCの見学に行く事に。
配管剥き出し、工作機械ポン置きのものづくり工房で待っていたのは、そうZリッチ氏である。
小粋なトークに流されて(惑わされて?)、言われるがままにライントレーサーキットの製作を(苦しみながら)進めるぱわぷろ。
しかし
「せっかく機械科に入ったのだから、ものづくりするサークルなら将来の役に立ったりするだろうし、ちょっとぐらいの苦労ならいいかな〜」
みたいなテンションだったので苦行でも平然とやっていた。
「動く何かを作る楽しさ」という沼にハマってひたすら作業していた。
6月のトレーサー大会では同期のAT氏が画像認識トレーサーを披露し、「技術力の差」を感じた。彼の技術力と人間性にはこれ以降も驚かされるばかりで、自分の性格や考え方に大きく影響することとなるなど、まだ知る由もなかった。ちょっとした達成感と絶望感を胸に、ここから歴代の先輩らが遺してきたステッパーの開発を始めることとなる。
夏季休業中は週4日で工房に通い、ステッパー製作に勤しんだ。
今思えば地獄みたいな工程が多く、逆に自分の知識の無さゆえに他の選択肢など考えもしなかった。
以下が苦しかったポイント。
・ユニバーサル基板の半田付けとカシメ
当時の自分にとっては2.54mmピッチは狭く、簡単に配線がブリッジした。
1mmの素子を半田付けする、と言ったら卒倒するレベルの不器用さだった。
カシメでは必要数34ピンに対して100個分ぐらいコンタクトピンを浪費した記憶がある。
・マイコンの表面実装
当時のマイコンはサークル自作のホットプレートでリフローしていたが、クリーム半田を使うなどのノウハウもなく、padに前半田して頑張っていた(2度とやらん)
温度調節半田ごて、フラックスの存在すら知らずに試行回数だけで何とかしていた。
位置決めで何度泣かされたことか。
・金属自作ホイール
ホイールも旋盤とフライス盤による金属加工品であり、1ペア作るのに6時間ほどかかった。もちろん、工作機械の講習を受けるところからスタートだったのでもう少し時間がかかる。
・自家製バッテリーパック
バッテリーとしては「Lipoは危険物」であり初心者には爆発の危険があるため、単4電池の端面をヤスリ掛けして、6個を直列に配線し、電池パックを自作していた。最終的には12個の電池を直列にしていたが、製作過程では工具を通じて短絡し火花を散らしていた。(ダメ、ぜったい)
8〜9月の間、作業を続けてようやく機体が組み上がりつつあった。記念すべき初大会は10月の東日本大会。秘伝のタレであるプログラムの調整も終えて、超信知旋回と1区画ごとの走行ができるようになり、あとは大会を待つのみだが1つの問題があった。
自分は「マイクロマウス」を知らなかったのだ。
2. 「マイクロマウス」って何だ?(2016年10月〜2016年12月)
言われるがままにステッパーの製作を進めていたが、競技のルール、評価基準はもちろん、実はフル迷路のサイズすら知らなかったのだ。
(迷路サイズは7×7と思ってた)
YouTubeやニコニコで調べれば動画だってあったろうに、この受身っぷりである。
そんな初心者がマイクロマウスの大会に出たのだから、当日の戸惑いっぷりはお察しいただけるだろう。
当日の迷路オープン、競技を見守る審査員の先生方、突如始まるMC方からの質問、平然と答える競技者、さらに飛び交う「探索」「最短」「足立法」などのマウス独自の用語や「台形加速」「偏差」「AD値」などの技術的用語。
圧倒的な速度で最短を決めるDC、美しいスラロームを描くステッパー、自分のサイズ感をぶち壊す小ささのハーフサイズ(現、マイクロマウス競技)。
異世界だった。
自分の出走の記憶は朧げでリタイアした記憶があるが、目の当たりにした「マイクロマウスの世界」への羨望とレベルの差に対する絶望感が初大会の全てとして今も残っている。
何より、キットを作っているだけの自分が参加していいのか?それすら怪しむ差であった。(過去の自分に「完成させて走らせれば何だって良い!」と背中を叩きたい)
そこからはステッパーの走行改良に取り組んだが、全日本大会までにスラロームすら実装できなかった。
その間、他のステッパー機体(特に〇iceの方々)が爆発的に成長していくのを目の当たりにして、さらに意気消沈した。(この過程でスラロームや直線加速を知る)
それと同時に2つの願望が生まれた。
「自分のDCマウスを作りたい」
「WMMCにDCマウスのノウハウを残したい」
ここからマイクロマウスを目指す道が始まった。
3. 汝やマウサーなりや?(2017年1月〜2017年8月)
オフシーズンに入って幾つかのテーマを設定した。それは自分に足りないものをリストアップする作業でもあって、進むべき道のりを定めるための模索でもあった。
当時の諸々は以下の通り。
- スラローム走行の完成
- 自作ステッパーの製作
- 技術知識の獲得
- 他のマウサーとの交流
- 標準機体の改良
大会中の開発を継続すると共に、「マウスを自作する」経験がDCマウスに向けて必要であり、全ての改修ができなくともマイコンプログラミングやプリント基板への挑戦がDCに繋がるだろうとして安易に定めてしまったが…
マイコン移植は困難を極めた。
当時、マウスのマイコン状況はRenesasが主流で、STmicroが追い上げてきつつある状況であった。
参考:2018年のテクニカルデータ集:
http://www.ntf.or.jp/mouse/micromouse2018/recode2018_181215.pdf
WMMCのステッパーではArmベースのLPC1114を使っていたが、インクリメンタル式エンコーダを読み込むペリフェラル(位相係数、TIM系)が無く、DCマウス開発には不向きなマイコンであった。
この為、DCマウス開発に向けては別種のマイコンを開発する必要があり、その為にRXマイコンを触っている先輩方の系譜がか細く続いていた。DCマウスを志した自分もその系譜を引き継いでステッパーへの移植を試みた。
(近い系譜、S田氏? → 山の神 → S崎氏 → ぱわぷろ)
この移植でレジスタの意味やクロックやPLL, タイマ機能などマイコンの基礎となる部分を学んだ。しかし、あまりに膨大かつ難解な構造ゆえに標準機体にはPDG、HALなどの抽象化レイヤが必要なのではないかと意識が向き始めた。
他にもマウス以外の技術知識の習得のため、ライトレを自作したり、つくちゃれへ参加してみたり、NHKロボコンの設計講座に出て(なんちゃってで)設計をしたりと試せることは色々試していた。
交流に関してはM〇ceさんから部内大会へ招待いただいたことが大きなきっかけとなった。
Mi〇eの先輩方には人数・技術やマウスへのアプローチの仕方が異なる中で温かく接してくださり、様々な知見やマウスな雰囲気、サークル運営など、様々な事を教えていただきました。
感謝しかありません。
そうした個人の技術的な成長、他団体との交流の中でWMMC標準機体を「DCマウスに繋がる機体」に改良したいと思う様になっていった。
そのためには、以下の様ないくつかの工程が必要だった。
- 試作機の開発
- 試作機の評価(標準機として妥当か)
- 新入生教育カリキュラムの改訂
- 新入生用ライントレーサーの試作と量産
- wikiの更新(ほぼ刷新?)
- 標準機体用に回路図、プログラム修正
ヤバすぎ。
さすがに厳しいと感じていた。
特に試作機の開発が上手くいかなかった場合全てが頓挫するため、2017年度はB2であった自分がRXマイコンでの試作機、AT氏がSTMマイコンでの試作機を同時並行で開発し、生き残った方を中心に標準機体を刷新する方針と決めた。
また、この時期は途中入会も盛んになってADCに登録しているsophia氏やmanboo氏、あおさ氏らが加わったのもこの頃である。
そんなこんなで技術に運営、開発などを自分から行う様になり、マウサーの端くれとなりつつ2017年シーズンを迎える。
4. 出会いと就任(2017年9月〜2017年12月)
2017年は初めて設計したプリント基板を9月に実装し、シーズン開始までに何とかRXステッパーを完成させ、スラローム走行・直線加速を実装できた個人としては充実したシーズンであった。
また後輩であるI上氏がステッパーでこれらの機能を全て実装、全面探索まで導入しサークル内トップの走行を披露したシーズンでもある。
あわよくば斜め走行まで決めていた彼のステッパーは自分の知る限りではWMMC標準機体では間違いなくトップの性能であった。(2021年現在)
また〇ice、〇ボメカ工房、Chees〇、からくり工房〇.Sysなどなどの方々とよく話すようになった。
Chees〇杯でI.〇ys組が深夜運転で到来した衝撃は忘れられない。
そして、Zリッチ氏から幹事長職を引き継ぐと共にAT氏と画策していた標準機体の改造も話が進み始めた。
RXとSTM、両方の機体性能はほぼ同じレベルまで到達し、大会での完走も果たしていた。
しかし、マイクロマウス大会の潮流としてSTMマイコンが勢いに乗っていること、秋月でSTMのf303とf405が流通し始めていること、手軽なボードとしてnucleoで練習できることなどなどを判断して、新標準機体にはSTMを採用することとなった。
この時、RXマイコンの扱い方もwikiに掲載し諸々を残そうと取り決め、自分はDCマウスの技術開発へ、AT氏はSTMステッパーの標準機体化を進めた。
2年に渡るステッパー開発を経て、技術や経験、交流など様々なものを積み重ねてきた。沢山の絶望感と僅かな達成感、暗中模索な物語はまだちょっぴり続く。
最後までお付き合いいただいた人には感謝を。
明日は
またまた自分で
「個人的WMMC活動を振り返る(DCマウス編)」
です。
興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。
では、また。